咸淳(かんじゅん)は、中国・南宋の度宗の治世に使用された元号。1265年 - 1274年。
西暦等との対照表
出来事
- 景定5年
- 12月1日:度宗の即位により翌年を「咸淳元年」とする踰年改元の詔が下る。
- 咸淳元年
- 4月19日:賈似道が太師の位を加える。
- 5月1日:史弥遠を「政策元勲」に追叙する。
- 7月26日:州県に銭法を厳しくし、民間の牌帖使用を禁ずる詔勅が出る。
- 8月:廬州・安慶がモンゴル軍により侵される。
- 8月29日:忠州を咸淳府と改める。
- 咸淳2年
- 7月11日:童子科を廃する。
- 咸淳3年
- 8月:モンゴル軍が襄陽に侵入して劫掠する。
- 咸淳4年
- 6月1日:浙西の公田荘を廃する。
- 9月9日:襄陽・樊城に対するモンゴル軍の包囲が始まる(襄陽・樊城の戦い)。
- 11月25日:義役法が施行される。
- 咸淳5年
- 3月14日:公田に役人を置き、租税を監督させる詔勅が出る。
- 12月2日:呂文徳死去。
- 咸淳6年
- 正月21日:成天暦が施行される。
- 8月25日:郡県に推排法が施行される。
- 10月10日:范文虎が襄陽・樊城を救援しに派遣される。
- 咸淳7年
- 3月23日:内外百司の官吏を減らす。
- 5月:モンゴル軍が四川・淮西に来襲する。
- 6月11日:范文虎の援軍が襄陽に至りモンゴル軍と交戦したが、敗退する。
- 11月15日:モンゴルが国号を「大元」と改める。
- 12月21日:士籍が設置される。
- 咸淳8年
- 5月:宋軍が襄陽の救援を再び試みたが、包囲を解くには失敗する。
- 咸淳9年
- 正月11日:樊城が突破される。
- 2月27日:襄陽の陥落。南宋の対モンゴル防御線が事実上崩壊される。
- 咸淳10年
- 7月9日:度宗が崩ずる。
- 10月22日:恭帝の即位により翌年から「徳祐」へ踰年改元の詔が下る。
関連項目
- 元号一覧 (中国)




