1956日米野球は、「日米野球」の1956年大会である。
試合結果
第1戦
10月19日 第1戦 後楽園球場 25,000人
曇りの日にの後楽園には2万5000人のファンが詰め掛け、始球式は正力松太郎が務め、駐日米国大使ジョン・M・アリソンも出席した。巨人は川上哲の2本塁打を含む4本塁打でドジャースを驚かせ、4回からリリーフした大友が好投して初戦を白星で飾った。堀内はホッジスとロビンソンに場外本塁打を打たれており、ホッジスが左翼場外へ打った球は白山通りまで飛んだとも言われ、事実だとすれば200mは飛んだことになるが、打たれた堀内は「あの一打を打たれたことは名誉」と語っていた。この第1戦では長身から投げ下ろすドロップカーブで三振を取りまくり、「ドジャースの戦法」を書いたアル・キャンパニスに「ウチに来ないか」と誘われたほどであった。1957年には水原円裕監督に連れられて藤尾と共にドジャースのキャンプに参加し、巨人軍ベロビーチキャンプ第1号選手と呼ばれた。
第2戦
10月20日 第2戦 後楽園球場 35,000人
ドジャースは初回にキャンパネラの満塁本塁打で先制し、3回も2号2ラン本塁打で6-0にし、その後も6回に1点を追加して快勝した。先発のラバインが勝利を収め、自らも4安打を放った。全セは9回裏に宮本の打点で得点するも、この1点だけに終わった。全セの先発金田は1回で降板し、大洋のルーキー秋山はキャンパネラに2本塁打を浴びている。
第3戦
10月21日 第3戦 後楽園球場 45,000人
全日本がドジャースのエースであるニューカムから初回に4点を奪い、同年の日本シリーズMVPであった豊田、怪童中西が本塁打を放った。全日本が訪れたMLBチーム相手に5勝目を挙げた。試合前の本塁打競争では、ドジャースのスナイダー、ホッジス、キャンパネラが全日本の中西、山内和弘、宮本を19-15で下し、ホッジスが8本塁打でリードした。
第4戦
10月23日 第4戦 札幌市円山球場 35,000人
ドジャースはスナイダーが9回に放ったソロ本塁打で接戦を制し、先発のアースキンが巨人打線を僅か3安打に抑え、走者が二塁に到達することを許さなかった。スナイダーはドジャースの8安打のうち3安打を放った。巨人は7回に先発の堀内に代わって出場したセ・リーグMVP別所毅彦は、スナイダーの本塁打で敗れた。ゲームは1時間36分で終了したが、この日は田中敏文北海道知事が始球式を行い、そのボールは式典の前にヘリコプターで球場に到着した。
第5戦
10月24日 第5戦 県営宮城球場 28,000人
ドジャースは3回に4点を記録し、最初の7イニングを投げた先発のキップが勝利投手になり、リリーフのブランカが最後の2イニングを締めた。ドジャースは翌25日に休みをとる予定であったが、水戸で再びオール関東と対戦した。
第6戦
10月26日 第6戦 茨城県営堀原公園野球場 22,000人
ドジャースはオール関東と引き分け、翌27日の試合のために甲府行きの電車に乗るスケジュールを守らなければならなかった。ドジャースはスナイダーの本塁打などで4回に2点リードし、6回に1点を追加しましたが、8回裏に3-0のリードを守れなかった。
第7戦
10月27日 第7戦 山梨県営甲府球場 17,000人
ドジャースは16安打の猛攻で打線がスランプから脱出し、主力に混じってメンバー入りした2Aの一塁手ジェンタイルは2本塁打と5打点の大活躍。外野手のデミターとシモリもそれぞれ本塁打を放ち、ロビンソンは先発大石の攻略に成功した。
第8戦
10月28日 第8戦 栃木県総合運動公園野球場 28,000人
ドジャース打線はジェンタイルの5打数5安打を含む15安打を放ち、全日本を6-3で破った。最初のイニングでは、ドジャースはロビンソン、キャンパネラ、スナイダーの本塁打で3回も得点した。全日本は、島原と稲尾を含む4人の投手を使ってドジャース打線を抑えようとしたが、失敗に終わった。
第9戦
10月31日 第9戦 下関市営球場 20,000人
ジェンタイルが4本目の本塁打で、デミターも5回に秋山から2本目の本塁打を放った。1回2死にはシモリのバットからのラインドライブが、日本の先発梶本の肩に当たった。
第10戦
11月1日 第10戦 広島県営総合球場 13,250人
スナイダー、ジェンタイル、キャンパネラが本塁打を放ち、4-4で迎えたドジャースは7回に逆転に成功。ロビンソンが3回に審判の呼びかけに抗議している。
第11戦
11月2日 第11戦 大阪球場 28,000人
ドジャースは2回だけでジェンタイル、ホッジス、リース、スナイダーの本塁打を含む5点を奪った。最初の3人の本塁打は先発の堀内から、スナイダーは野母から放った。ギリアム、ジャクソン、デメターも本塁打を放ち、8本塁打14得点の完封勝利。先発のロジャー・クレイグがブランカのリリーフに助けられながらも勝利を手にし、7回に代打としてエースのニューカムが登場した。
第12戦
11月3日 第12戦 阪神甲子園球場 45,000人
ドジャースは7-3のリードを築くも、7イニング後に全日本が7-7で引き分けた。審判が暗闇と軽い霧雨のためにゲームを止めようとしたが、ゲームは殆ど6回を過ぎておらず、日本とドジャースの関係者が状況を話し合った末に20分遅れで試合が再開された。再開後はドジャースが8回に3安打、2敬遠、オルソンによる3ラン本塁打で一気に7点追加と打線が爆発し、劇的な逆転に成功。
第13戦
11月4日 第13戦 阪急西宮球場 40,000人
全日本が先発のキップとリリーフのラバインから合わせて11安打を集め、ドジャースの連勝を6でストップさせた。
第14戦
11月7日 第14戦 中日球場 25,000人
第15戦
11月8日 第15戦 静岡県営草薙野球場 20,000人
第16戦
11月9日 第16戦 後楽園球場 23,000人
第17戦
11月10日 第17戦 後楽園球場 35,000人
第18戦
11月12日 第18戦 後楽園球場 30,000人
第19戦
11月13日 第19戦 平和台球場 8,000人
ロビンソンは帰国後にニューヨーク・ジャイアンツへのトレードを拒否して現役を引退したため、この日米野球が最後のプレーとなった。
脚注



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