青年日本の歌(せいねんにほんのうた)または昭和維新の歌(しょうわいしんのうた)は、1930年に創作された日本の歌曲。作者は大日本帝国海軍中尉で、後の五・一五事件に関与した三上卓である。歌詞中の詩句の多くは土井晩翠と大川周明の著作から剽窃、無断引用されている。
概要
歌詞の内容は「国家改造」「昭和維新」すなわち政界の元老、権臣や財閥などの排除を主張し、当時の日本社会の経済や貧富の格差の状況をある程度反映している。中国メディアはファシズムの曲と紹介している。発表以来、日本中に人気が出てきたが、1936年に禁止となった。歌詞が暴力を煽って、昭和天皇の不満を招いたことが原因とされる。
戦後は民族派に歌い継がれた。また、西部邁も好んだ。
歌詞
解説
歌詞冒頭の「汨羅」は、屈原が国を憂いて投身した汨羅江であり、これに続く「巫山の雲」とは、一般に男女の契り、すなわち性行為を表す慣用句である。
脚注




