カート・アボット(Kurt Thomas Abbott, 1969年6月2日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身の元プロ野球選手(遊撃手、二塁手)。右投右打。
経歴
プロ入りからアスレチックス時代
1989年にドラフト15巡目でオークランド・アスレチックスに入団。
しかしアスレチックスではメジャー初出場を果たした1993年に20試合に出場しただけで、シーズン終了後の12月20日にフロリダ・マーリンズへとトレードされた。
マーリンズ時代
移籍1年目の1994年はMLBストライキの影響もあって101試合の出場にとどまったが、ショートのレギュラーに定着。
翌1995年も120試合に出場し、17本塁打を記録した。
1996年5月、後にオールスター選手となるエドガー・レンテリアがマーリンズに加入。これによりショートの定位置はアボットからレンテリアへと移ることとなった。するとアボットはショートだけでなくセカンド、サードも務めるなどユーティリティープレイヤーとして存在感を発揮し、シーズンでは109試合に出場した。
1997年には前年に守った3ポジションに加え、メジャー1年目以来となるレフトも守るなど更に活躍の場を広げ、打撃でもメジャーでは自己最高となる打率.274を記録した。この年チームはワールドシリーズへ進出。自身初となるワールドシリーズの舞台で3試合に出場を果たし、マーリンズ史上初のワールドチャンピオンのメンバーとなった。
こうしてマーリンズで安定した働きを見せていたアボットだったが、1997年のシーズン終了後に古巣のアスレチックスへとトレードされる。
アスレチックス復帰
しかし迎えた1998年は、アスレチックスでは35試合にしか出場出来ず、6月にトレードで今度はコロラド・ロッキーズへと移籍。
ロッキーズ時代
しかしロッキーズでも出場機会には決して恵まれなかった。結局この年もアスレチックスで4つのポジション、ロッキーズで5つのポジションを守るなど、やはりユーティリティープレイヤーとしての働きが中心となった。
続く1999年は、前年にロッキーズでセカンドのレギュラーを務めたマイク・ランシングが戦線を離脱。この年打撃好調だったテリー・シャンパートと出場機会を分けあったが、セカンドではチーム最多の66試合に起用された。またこの年はその他にショートとライト、加えてメジャーでは自身初となるファーストとセンターも守ってみせた。
メッツ時代
1999年のシーズンオフにフリーエージェントとなったアボットは、年が明けた2000年1月26日にニューヨーク・メッツと契約した。メッツでもショートとセカンドを中心に控えの内野手としてプレイ。シーズンでは79試合に出場し、また自身2度目となるワールドシリーズでも5試合に出場を果たした(この年はワールドチャンピオンには輝いていない)。
ブレーブス時代以降
シーズン終了後に再びフリーエージェントとなったアボットは、2001年1月8日にアトランタ・ブレーブスに入団。しかしブレーブスでは6試合にしか出場出来ず、マイナーリーグでも6試合にしか出場出来なかった。その後2002年と2003年もチームを代えてマイナーリーグでプレイしたが、試合に出ることさえままならない状態が続き、2003年限りで現役を引退した。
選手としての特徴
前述の通り、実に多くのポジションをこなしたユーティリティープレイヤーである。主なポジションはメジャー通算で349試合に出場したショートと、同じく173試合に出場したセカンドだが、9年間のメジャー生活ではピッチャーとキャッチャー以外の全ポジションを守っている。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 A
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)




