マガジャネス (Magallanes) はチリ海軍の砲艦ないしコルベット。太平洋戦争や1891年の内戦に参加し、また測量などに従事した。

艦のデータ

排水量950トン、長さ196フィート9インチ (59.89m)、幅29フィート100インチ (9.09m)、速力11ノット。帆装はバーク。兵装はアームストロング7インチ前装施条砲1門、アームストロング64ポンド前装施条砲1門、アームストロング4インチ20ポンド前装施条砲2門であった。

艦歴

ロンドンのRaenhill社で建造。1873年7月28日進水。

1875年、「マガジャネス」はBahía Posesiónの測量を実施。次いでAngostura Inglesaなどの測量に参加した。

1876年、パタゴニアの領有権主張のため、「マガジャネス」はアルゼンチンから許可を得てMonte León島でグアノを積んでいたフランス船「Jeanne Amélie」の拿捕に向かわされた。「マガジャネス」は「Jeanne Amélie」を拿捕するとプンタ・アレーナスへ曳航していこうとしたが、同船は強風のため難破した(4月27日沈没)。後に、「マガジャネス」は同様の船をもう1隻(アメリカ船「Devonshire」)拿捕している。

1877年、「マガジャネス」はプンタ・アレーナスで起きた反乱を鎮圧した。

太平洋戦争

1879年4月12日、「マガジャネス」はペルーの「Unión」、「ピルコマヨ」と遭遇し交戦。同月、「マガジャネス」と「アルミランテ・コクレーン」はMollendoを攻撃した。

5月16日(15日とも)、「ブランコ・エンカラダ」、「アルミランテ・コクレーン」、「マガジャネス」などはイキケからカヤオ攻撃に向かう。しかしイキケに着いたときそこには目標とするペルーの装甲艦2隻はおらず、チリ側は攻撃をせずに引き返した。

6月3日、「ブランコ・エンカラダ」と「マガジャネス」はペルー装甲艦「ワスカル」と遭遇し、長時間にわたる追跡を行ったが結局逃げられた。7月9日から10日の夜、「マガジャネス」はイキケに現れた「ワスカル」と交戦。「アルミランテ・コクレーン」が現れると「ワスカル」は逃走した。8月下旬には「マガジャネス」はアントファガスタで「ワスカル」と交戦した。

チリ側は「ワスカル」を破壊するため、タールで覆ったダイナマイトを用いた作戦を計画していた。「マガジャネス」が艀に乗せて流したそれを回収したペルー側が窯に投入すると艦が破壊される、というものである。しかし「ワスカル」はアンガモスの海戦の結果、チリ側に鹵獲された。その海戦後、「マガジャネス」ではその爆発物入りの石炭は燃料庫に戻され、それによって艦が破壊されそうになっている。

10月28日、「マガジャネス」はPisagua攻略部隊を乗せた船団を「アルミランテ・コクレーン」などと共に護衛してアントファガスタから出撃した。上陸は11月2日に行われた。

11月28日から「マガジャネス」は他艦と共にアリカ封鎖を開始。1880年2月26日、「マガジャネス」と「ワスカル」は砲台と交戦した。アリカ付近に集結したチリ軍は6月5日に攻撃を開始し、翌日は「マガジャネス」や「アルミランテ・コクレーン」などによる砲撃も行われた。6月7日、アリカは陥落した。

11月下旬から12月上旬にかけて「マガジャネス」はコルベット「アブタオ」とともにアリカからPiscoへ向かった兵員輸送船団を護衛した。

1885年、「マガジャネス」はBahía de Araucoなどの測量やPalena川などの地図作成を行った。1886年、Santa María島などの調査を実施。1887年と1888年にはPuerto Condell、Bahía Posesiónなどの、1889年にはseno última Esperanza、Isla Orellaなど測量に参加した。

内戦

1891年1月に始まった内戦では議会派が海軍を掌握しており、「マガジャネス」もそちら側に属す。1月6日時点で「マガジャネス」は「ブランコ・エンカラダ」、「エスメラルダ」、「O'Higgins」とともに就役状態でバルパライソ湾にあった。

「マガジャネス」と「アルミランテ・コクレーン」は北部の港の封鎖、占領に向かい、「マガジャネス」はPisaguaの封鎖を命じられた。同地の守備隊はわずかですぐに降伏したが、イキケから政府軍が来たことで1月26日にPisaguaからは撤収となった。

議会派の軍は8月20日にバルパライソの北に上陸し、28日にバルパライソを占領した。8月20日、バルパライソから出てきた水雷艇「Sargente Aldea」、「Guale」を「マガジャネス」と「エスメラルダ」、「Biobio」は追い払った。8月21日、議会派の軍のアコンカグア川渡河の際、「マガジャネス」は「エスメラルダ」などと共に支援した。

1893年、「マガジャネス」はReina Adelaida諸島を探査し、またislas Cuarenta Díasの地図を作製した。1895年にはチロエ島東岸の地図作成などに従事。1897年と1898年、「マガジャネス」はCanal Bárbaraの探査やBahía Gente Grandeの測量などを行った。1903年から1906年にかけては「マガジャネス」はSeno Otway、Fitzroy Channel、Reina Adelaida諸島、タイタオ半島などの測量や調査に参加した。

1906年に「マガジャネス」は商船になり、翌年Corral出港時に嵐により難破した。

脚注

参考文献

  • Piotr Olender, The Naval War of Pacific 1879-1884: Saltpeter War, MMPBooks, 2020, ISBN 978-83-65958-77-8
  • Jack Greene, Alessandro Massignani, Ironclads at War: The Origin and Development of the Armored Warship, 1854-1891, Combined Publishing, 1998, ISBN 0-938289-58-6
  • William F. Sater, Andean Tragedy: Fighting the War of the Pacific, 1879-1884, University of Nebraska Press, 2007
  • William Laird Clowes, Four Modern Naval Campaigns: Historical, Strategical, and Tactical with Maps and Plans, Unit Library, 1902
  • Conway's All the World's Fighting Ships 1860-1905, Conway Maritime Press. 1979, ISBN 0-8317-0302-4
  • Sofía Haller, "Guano extraction in Atlantic Patagonia (1840–1880)", International Journal of Maritime History, 2022, Vol. 34(2), pp. 282–303
  • George v. Rauch , Conflict in the Southern Cone: The Argentine Military and the Boundary Dispute with Chile, 1870-1902, Praeger, 1999, ISBN 0-275-96347-0
  • Cañonera "Magallanes" 2° - Armada de Chile(2023年2月6日閲覧)

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